泣き寝入るのも母の膝
叱られて 泣き寝入るのも 母の膝 (八歩)
娘が三歳くらいの頃でしょうか。
人としてやってはいけないこと(なんらかの嘘)を問い詰めて、娘が泣きながら謝って妻が娘の小さな頭を抱きかかえて黙って涙を流したことを思い出しました。
ものすごく安心した寝顔でした。うらやましかった。
私のことを思い返してみると、母親に抱きしめられた記憶が全くありません。
身体機能が不十分な乳幼児には、親が守ってくれるというい信頼感は非常に重要だと思います。でも、私にはもうすぐ生まれる妹か弟のこと、ヤギの世話、幼児でも釣れるような渓流の魚(たぶんイワナ)。
楽しいはずの記憶なのに涙が止まらなくなりました。
二歳児がイワナを釣るの? いいなあ。というコメントは絶対になしでお願いします。
一日に、バスが一往復だけする山間地には、ミミズをつけただけの簡単な仕掛けでも良型が釣れるのです。
乳幼児の記憶というのは、通説で言われているように3歳くらいからという平均値ではなく、私のように生後8か月というのは意外に多いです。
思い出してみませんか? 自分に食べさせてくれる野菜粥にハエが止まったのを気にせずに食べさせてくれた母。
人によっては、小学校に上がる以前は全く覚えていないと豪語して、しかもそれが嘘でないというひともいます。ではそのひとはダメな人かというとそういうことはなく、九州では知らない人がいないような販売店の社長をやっていて、何か困ったら相談しろよとは時々ラインでメッセージをくれます。60年来の友人です。素晴らしい人格者です。
ただ、私が困っていることは単に一億円を彼から借りれば済むという話ではなく、知り合った60年前に運動能力だけはめちゃくちゃ高かった君と、学習能力なら「わからない言葉は辞書で」といって牧野富太郎やリンネ、ファーブルを必要に応じて英語やフランス語で(実に怪しいですが)読んだことを楽しく思い出します。私に、その数億円に相当する知恵があるかどうかといういと、ないんです。 ネットの普及によって、学問の入り口には立ちやすくなりましたが最後は商才というAIでもなかなか答えが出ないところになりそうです。
運動能力について言いますと、彼も私もクラスで1,2を争うチビでした。
今で言うと、彼が163センチ、私が156センチでしょう。
だけど、走る、投げる、たたき返すといった普通のとレーニングでは僕らは強かったです。 いまでこそ160センチ前後と書きましたが彼も私も小学4年生時代から全然背が伸びていないからです。
身長150センチ以上ある4番バッターでショートストッパーの私がモテないわけないです。
そのときに好きになった渡辺優子さんのことはそのうち書くと思います。
私が生まれた瀬戸内海沿いの九州では雪が降ることが珍しく、母が私を抱いて「ほら、真っ白、雪ですよ」 といったことをはっきりと覚えています。 前日まで畑があって犬がいて真っ黒な地面があったのに、突然雪に覆われていて驚きました。
そして、その雪を母は驚くのではなく「ね、ときどきこういうことがあるのよ。きれいだね」と言いました。
そういう言葉すら記憶しているのです。
母に抱かれて会話をする(もちろんわたしはまともにしゃべれませんが)はこの時が最初です。 そして、最後でした。