自殺論 あるいは結婚について
自殺するためにわざわざ外に出た理由:お借りしているマンションの部屋を事故物件にしたくなかったから。
しかも現段階では接点がないが私が死ねば息子に遺体引き取り人としての責務が生じるはずだから損賠賠償が多額に発生するような死に方はできないと思った。
例えば銀座のデパートのトイレで自殺すれば半日程度は営業できず数千万円の損失が生じるでしょう。
今、いくつかの死に方が思い浮かんでいて楽しく迷っています。
睡眠剤を30錠飲んでみましたがよく眠れた、 というだけのことでした。
現代の薬ってすごいですね。
ただ、 塩素ガスに肉体が自然に反応して咳き込んだり体を丸めたりして、 死に損なっているうちに監視員に見つかってしまいました。
ぼくは老人性の鬱をたくさん見てきたうえで、 自分のことを老人性の鬱と判断しています。
私が生まれた頃は50歳定年、公務員が55歳、 60歳になると生きているのが珍しいという感じでした。
ですからもっと長生きしたいというモチベーションがなければ63 歳のこの年で十分なんです。
一年に一度、元妻と二人で2万円の食事をするとか、 子供たちに1万円の誕生日プレゼントを贈る、 でも生きていく理由としては十分でした。
でも、この希望は無視されました。
無視を拒否と理解したうえで考えないといけないのは、 拒否した人に責任を転嫁しないことです。
別の言い方をすれば、 誰かに対する恨み言を言わないという事です。
恨み言など全くないのに、 残されたものが慚愧の念にとらわれるのは苦痛ですし間違っていま す。
しかしそれほどにお詫びの気持ちもないのです。
不器用ながら子供二人を世界中の人が知る大学を自宅学習だけで卒業させられるほどには育て られました。
そういう子供を授かったことは元妻も自分一人の業績とは思ってい ないと思います。
僕の持つ狂気を抑えつつ、 子供たちの聡明さだけを引き出していたのだと思います。
ぼくの子供で、性格的には私よりもアンバランスで、 育てるのは大変だったと思います。ぼくはいま、自分の狂気を持て余しています。
もう一度彼女と出会ったらまた結婚してくださいと心からお願いすると思いま す。
若かったら、という話ではなく還暦過ぎた私が還暦過ぎの元妻に再会しても、あいさつの次に出る言葉はプロポーズだと思います。
それを全力で振り切ってください。
僕は善人の顔をした、どうしようもない奴です。
簡単には見抜けないと思います。
でも、君には見抜けるだけの眼力が備わったのではないかな?
三歳くらいだった娘に髪飾りを作ってあげたら大喜びしてくれたことをおもいだしました。あれから三十年たったのですね。
おおいぬの ふぐりぐりぐり 髪飾り(八歩)
2020年12月12日(土) 14:18 toshiyuki satake <stk-nishitokyo@mbm.ocn.ne.jp> :
やれやれ、確信犯ですかでもなぜ外に出たのだろう?そこが不思議。死ぬにしても、他人に迷惑かけないでおくれ。遺体というのは結構手間のかかるものなのです。(なんせ、遺体損壊罪というのがあって、粗末に扱えない結局遺族に引き取り強制されるよ)ところで、何で死ぬ気になったの?昨年に今頃は、OPDES仕事を喜んでやっていたようだし、その2・3年前は、店をやってこの世の春?ではなかった?このままだと、老人性うつですね、なんて片付けられておしまいだ。 それは嫌でしょ。仕事?家族?老後?まあいろいろあるけど、整理してみて、ネット上で表現してみたら。僕の知人にそんなのがいる。詩という表現だけど、結構元気だ。絵のやつもいるな。いいねもらって、楽しんでいる。死んだマネならいいけど、実際死ぬと再起ができないよしばらくしたら、何かしたくなるから、ゆっくり休みな。それと、眠剤飲んだら外に出るな。佐竹俊之
2020年12月12日(土) 6:30 八歩 <tokoroabe@gmail.com>:
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安部 忠彦
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