劫と長考に関する囲碁雑感(エッセイ)

劫というのはインド哲学用語で、大変に長い時間のことだそうです。

そこに昭和の囲碁史を彩るスターを登場していただきましょう。
全部私の空想です。

 

碁盤の前に座って延々と考えて、飽きないどころか没入してしまい、ご自身がどこで何のために何をしているのかも忘却することでで有名な梶原武雄先生と、それに感応したか、長考派として知られていて対局初日は黒石を5個しか置かなかったという橋本昌二先生が碁盤を挟んで向かい合っています。

 

1960年4月
王座戦トーナメント一回戦
当時はトーナメント戦も持ち時間8時間、二日制で行われていました。
私はこの碁のことを打たれてから二十年以上たってから中山典之先生の囲碁エッセイで読みました。

 

初日の棋譜はこちらです。

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<img src="https://gokifu.net/sgf2misc/png2/371575152938078-f01.png"><br />棋譜再生</a>


丸一日かけてこれですからね。

梶原先生が「今日は疲れたよ」と漏らすと、隣で対局していたベテラン棋士(鯛中九段)が「なんだよ、白石を4個置いただけじゃねぇか」と突込み。
梶原先生の名言「今日の蛤は重い」

でも、翌日はちゃんと打ち進めて終局を迎えています。

<a href="https://gokifu.net/t2.php?s=5161575151024003" target="_blank">

<img src="https://gokifu.net/sgf2misc/png2/5161575151024003-f01.png"><br />棋譜再生</a>

 

このお二人が、時間制限のない天上界で対局をし、局後の検討には安倍義輝先生と山部俊郎先生が入ったらさぞ楽しかろうと、そういうことを勝手に空想したのであります。

 

安倍義輝先生は、囲碁が好きで好きでたまらなくてプロになった方です。

今から15年くらい前の記憶ですが、息子を任天堂子供囲碁大会に連れて日本棋院に行ったときに安倍先生が子供の囲碁を見物していました。大会の審判長かなにかだったかもしれません。

「先生の裏定石必勝法、読みました。面白いですね。」と話しかけましたら、嬉しそうに「そうでしょう。あれは書いていても楽しかったです。ところであなたはどれくらいで打ちますか」「初段か二段です」「ちょっと時間があるから打ってあげましょう、そこが空いてるから」

 

えー、プロの九段がアマ二段と囲碁遊びをしてくれるの?

 

結局5子か6子で序盤を打っていただきました。5分くらいだったと思いますが幸福感に包まれた5分間でした。子供たちであふれかえる棋院の大広間で、最近読んでメチャ面白かった本の著者から誘われて囲碁ですからね。
安倍先生は、私たち愛好家の代表として、碁敵が知らないような、そして、専門家が普通は思いつかないようなことを質問してくれると思います。

 

もう一人の山部俊郎先生は著書と棋道に連載していた「定石無法地帯」という定石外れを解説しながら実に面白いエッセイを書く先生です。

確実な一手と面白そうな一手があれば面白そうなほうを選んでしまうという方でした。

大きなタイトルとは無縁でしたが、名人リーグ本因坊リーグでは常連でアマチュアの人気はとてもありました。

 

空想対局の話にもどりますね。

なにせ、時間の制約がないわけですから。
安倍吉輝先生が、
「こうやったら、どうなりますか?」
と、お二人に質問をぶつけたと考えます。

山部九段が「こういうことにならないか?」と思いもよらないような変化図をつくり・・・・・・時が経つ・・・・
というのかな、時間の制約のない、天上界の碁では、飽きるまで考えたり、検討したりしていいわけですから、この方々なら碁に飽きることはないでしょう。

そうそう、これらの諸先生が、ウンウン唸って考えても、あれこれつつきまわしても結論が出ないときに、酔って足元のおぼつかない藤沢秀行先生がやってきて、
「お父ちゃんは、この一手だよ。」
と、石をつまんで、ポンと置いて、大の字になって寝てしまっても、もう、風邪をひく心配もないんです。天上界ですから。


そんなことも、空想してみました。

 

こういう顔ぶれで、「天上の碁」という本を、出版したら読みたいなぁ。もしかしたらあの世に行けばすでにあるのかも。
そう考えるとそのうちあの世に行く私ですが死ぬのがそれほどいやではないような気がします。


対局の記録係兼、本の編集はやっぱり、中山典之先生がいいですね。

現代の、短時間で一局を仕上げて気になるところはあとでAIを参考にしながら検討する碁も悪くないですが、昭和の黄金時代の囲碁はやはり捨てがたい魅力があります。

先に掲出した白8の一手に3時間くらいかけたそうです。
私が打ったら「それはどうでしょう?」と棋譜添削されそうですが、大木谷といわれた木谷實九段の門下生である、大竹英雄石田芳夫加藤正夫武宮正樹小林光一趙治勲ら、昭和の囲碁史のレジェンドたちを「宝石の原石」と呼び、師範代として鍛え上げた梶原武雄が打った白8だと思うとなんだかものすごく尊い一手のように思うのです。

いったいどれくらいの変化図がどこまで深く読まれていたのでしょうね。
現代の囲碁の名手たちと、昭和の大棋士の一局。
そういうのをクリエイトしてくれるようなAIができたらそういう棋譜を並べてみたいです。

 

観たい対局(もちろん空想対局です)

本因坊秀策と井山さんの半目勝負の対局
坂田栄男先生と中邑菫さんのどこから何が起きるか想像のつかない対局

藤沢秀行先生と藤沢里菜さんの爺ちゃんお孫さんのガチンコ対局

加藤正夫先生と上野あさみさんの大石ぶっ殺しあう対局

 

世界が核戦争や生物兵器で絶滅しなければそういう楽しみ方もできるかもしれませんね。

ま、そのうちそうなりますよ。というのは、天上界ではちょいと一劫でも43億2千万年という単位らしいですからね。


■ウイキペディア抜粋の豆知識

1辺20kmの岩を100年に1度、天女が舞い降りて羽衣でなで、岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間を指す。落語『寿限無』にも「五劫のすり切れ」として登場する。