呉先生は小目に対して強い石だから接近しないほうがいいという考えで大桂馬の位置か二間に高く打つことを推奨していました。

私は当時の碁に強く感化されていますので小目に桂馬カカリはちょっと怖いです。

この碁は昭和34年(1959年)に打たれたので私は1歳半くらい。
でも、この碁のことは棋譜で覚えているのでおそらく、父親が購読していた棋道で数年後に読んだのだと思います。

ただ、今Wikipediaで確認したら高川先生は本因坊ですが挑戦者は別の方です。
この当時最高峰の本因坊でしたから一般的な対局かもしれません。

でも、呉清源先生は江戸時代から伝わる棋道の継承者である高川先生に新鮮なチャレンジャーとして挑みます。
呉先生自体が最強の碁打ちであるということはこの当時庶民まで知れ渡っていました。でも、チャレンジャーポジションで碁を打ち、それを迎え撃つ高川先生というのは実に面白い組み合わせですね。

ものすごくレベルの低いたとえですが、私は昨日ネット碁で友達になった三段の方に五局目にして(定先)初めて勝つことができました。
だから、七番勝負をしても勝つことはありうるんですがまあ、普通に考えたらないですよね。
明らかに私(今、野狐初段)は野狐三段に七番勝負で勝ち越すはずはない。
こういう感じが、当時の高川本因坊呉清源先生の間にはありました。

文字を覚えるときに、数字から覚えたので二歳のころは毎日新聞棋譜を読んでいました。

白16!
今ならアマでも打てますが、いまから60年前にこの手を超重要な本因坊戦七番勝負(二日制)で打つのは凄いことでした。

この対局の三年前に、碁打ちの真剣勝負ともいえる十番碁で全ての高段者を打ち込んで格下にした呉清源(もちろん高川先生も十番碁では負けてます)が、のちに本因坊位を九連覇する高川先生との、別の土俵での大勝負です。

私が注目するのは、呉清源先生がものすごく工夫した着手を序盤で打つのに対して高川先生は、文字通り一手も驚くような手を打たずにさらさらと勝ってしまうことです。

こういう碁で、当時は最高峰の本因坊を九期もとってしまう人ってすごいと思いませんか。

九連覇当時の高川先生の碁はアマチュアがお手本にすべきだといわれていました。
今見ると、新鮮かもしれません。

でも、就学前の幼児だった私には全然面白くなくて、新聞に梶原武雄、山部俊郎、呉清源、が掲載されるのを楽しみにしていました。

 

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